じんねいん ・ かんのんじ第六十八番札所 神恵院 ・第六十九番札所 観音寺
区分 | 四国遍路 | 時代 | ― |
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指定内容・指定日 | |||
所有者 | 観音寺 | 所在地 | 香川県観音寺市八幡町1-2-7 |
瀬戸内海に面し、小高い山の中腹に四国八十八ヶ所霊場第六十八番札所神恵院と、第六十九番札所観音寺があります。
今は神恵院と観音寺の二つが札所となっていますが、今から約150年前の江戸時代までは、琴弾山(ことひきやま)の山頂にある神社の琴弾八幡宮と、この琴弾八幡宮に付属して建てられた観音寺が札所でした。江戸時代の資料を見ると、神恵院と観音寺は同じ寺だったのです。
明治時代になり、政府が神と仏を切り離す政策(神仏分離)を進めたことにより、琴弾八幡宮にある仏教に関係する本尊などが観音寺の境内にある西金堂(にしこんどう)という建物に移され、この時から、第六十八番札所を神恵院としました。
観音寺は、寺の始まりや歴史を書いた文書によると大宝3年(703年)に日証という僧によって琴弾八幡宮と共に建てられました。その後、弘法大師空海が大同2年(807年)に訪れ、阿弥陀如来像を描いて琴弾八幡宮の本尊としました。
このような歴史があって、現在一つの境内に二つの札所霊場があるようになっています。